金沢・富山旅6 ☆妙立寺~忍者とは一切関係ないけど忍者寺
1日目のハイライトは、妙立寺。
通称「忍者寺」です。
にし茶屋街から行くと、裏門から入るような形に。

(裏側の門から入ります)
実は今回のメンバーで、わたしだけここに来たことがあります。
その時こちらのお寺のおもしろさに大興奮したので、
金沢に来たなら、絶対みんなここに連れてきたかった。

こちらはお寺の正面の門。

本堂の前には順番待ちの人達がわんさか。
こちらの見学には予約が必要なので、行こうと思われる方はお忘れなく。
わたしも数日前に気づいて、慌てて予約しました。
当日でも最終枠はまだ大丈夫みたいでしたよ。

待ち時間、境内の小さなお堂で一休みしてました。(ベンチがある)

せっかくなので、仏様に水をかけて、
自分の身体の悪いところと同じ部分をせっせとタワシでこすったり。
有意義に待ち時間をつぶしておりましたw

しかし、痛恨の極みなのが
「本日の御朱印は締切ました」の貼り紙だよ~っ


見た瞬間、膝から崩れ落ちそうになったよ。
わたし、神社と違ってお寺の場合は
宗派によって御朱印って頂けないところもあるし、
そういうのはあまり期待せずに、この寺院群界隈に来てたんですよ。
でもこれ、「うちの寺では御朱印はやってません」って言われるより、
ある意味ダメージでかいw
だって同じ日に頂けた人もいるんだもんねw
いったい何時ごろ締切ったんだろうか。
にし茶屋街でうろうろせずに直行してれば間に合ったのだろうか。
授与所のお姉さんは外国人対応で忙しそうだったので、
それ以上聞けなかったけど・・・。
ま、テンション下がったのはその時だけで、
中を見学してたらあっという間に忘れちゃいましたけどね。
とにかくこの妙立寺。
あちこちに色々なからくりがあるお寺なんです。
それが「忍者寺」ってう通称の由来なんだけど、
特に忍者と関係はないんですよ・・・って、
ガイドの人もやたらそこを強調してましたw
江戸時代、三代目・前田利常公の時代、
加賀藩って百万石の外様大名として、
幕府から相当目をつけられてたそうなんですよね。
藩を取り潰す機会を虎視眈々と狙ってきていたようです。
当時はマジに討たれる5秒前☆・・・くらいの緊張状態だったそうで、
利常公はうつけのふりをしてみたり、色々と努力をしてたらしいです。
でも、その一方で、
本当に幕府とたたかう事になった時の為の準備の一つとして
このお寺をいざってときの軍事拠点として使えるように
ひそかに整えていたんだそうです。
当時は3階以上の建物を建てちゃいけないっていう命令があったので
外観は2階建て、だけど実際の内部は4階建て7層の建物。
もうこれだけで、どういうこと!?って感じだけど、
うまいこと入口だってわからないようにカモフラージュしていたり、
敵の襲撃に備えた防御のからくりだったり、もうすごい!
とはいえ、イカツイだけの施設じゃなくって、
もちろん通常はお寺なわけだから立派な仏像があるお堂があるし、
一般の庶民もお参りに来るし。
ちょくちょく来訪するお殿様をお迎えするためのしつらえもある。
だからもう、柔と剛の緩急がすごいわけなんだよね。
戦のために工夫された構造に「ひえ~!」って思った直後に、
「こんなとこに、お殿様用のこじゃれた茶室が!」
「と、思いきや、隠し階段~~~!」・・・みたいな。
しかも、数が多い!
もう終わりかな?と思わせておいて、もうひとひねりある。
とにかく濃い!
なかでも、いよいよ絶体絶命となった時に、
火を放って自害するために用意されていた、
閉めてしまうと内側からは開けられない構造になっていて、
死を表すという四畳の「切腹の間」には、
さすがにシビアすぎて言葉を失いましたわ・・・。
わが母の、この一言までは・・・
「うちも、こんなん造ろ~か~
あんたを閉じ込めて反省さすための、反省部屋として」
ひでえww
如実に示すよね、わたしの家庭内での地位の低さww
いい歳してオカンにこれを言われるっていう・・・w
まったく、荷物だって持ってあげてるのにさあw
ま、そんなことはともかく、
梁などの木材が曲がっていて、北陸の気候にあった建て方になってて
きっと、そういうところも建築好きの人にとっては注目点だろうし、
これだけ年月を経ても、
何十人も建物内をウロウロしていて平気な堅牢さにもビックリだし、
(ところどころプヨプヨしてるところはあったけども)
色んな意味で木造すげぇ~と思いましたね。
ほんとに妙立寺(忍者寺)は金沢に来たら絶対行った方がいい。
見学には1000円かかるけど満足度はバッチリ。おすすめ!
特に建築に興味ある人は、楽しいと思います。
見学には事前予約、これ、わすれないでね!
見学1000円と聞いたとたん、見学者の人数を数えだすうちの家族・・・

